2024年10月衆議院議員ランキング 8回戦
遠藤敬 vs 中村喜四郎
勝: 中村喜四郎
戦評
議員Aと議員Bの比較では、どちらの議員にも問題点が見受けられますが、議員Aは現在の政治活動において、公職選挙法違反の疑いがある報道があり、説明責任が求められる状況にあります。一方、議員Bは過去にゼネコン汚職事件で有罪判決を受けた経歴がありますが、その後の政治活動で新たなスタンスを示す意思を持っていることが評価されます。議員Bは汚職事件後も再選されており、過去の汚点はあるものの、有権者が一定の信任を与えていることも考慮に入れるべきでしょう。長期的な政治的変化や経験者としての視点を期待するなら、議員Bの方が選ばれるべきと言えるかもしれません。議員Aも様々な議連での活動があるものの、現在の疑惑が選挙での選択に影響を与えかねないという懸念があります。
遠藤 敬(えんどう たかし)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 56歳 (1968年06月06日生) |
所属政党 | 日本維新の会 (自由民主党→)(旧日本維新の会→)(維新の党→)(おおさか維新の会→)日本維新の会/大阪維新の会 |
選挙区 | 大阪18 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 大阪府高石市生まれ。 - 高石市立高石小学校、高石市立高石中学校を卒業。 - 大阪産業大学附属高等学校を卒業。 - 高校卒業後、飲食店を経営。 - 不動産管理業にも従事。 - 社団法人高石青年会議所理事長を務める。 - 堺高石青年会議所理事長を歴任。 - 日本青年会議所大阪ブロック協議会長として活動。 - 日本教育再生機構大阪会長を務めた。
政治家としてのキャリア
- 中山太郎後援会の青年局長を務める。 - 2011年10月、自民党大阪府第18区支部長に就任。 - 2012年、日本維新の会に入党し、大阪府第18区選挙区支部長に就任。 - 第46回衆議院議員総選挙で初当選。 - 2014年、維新の党分党に伴い、橋下徹とともに新党に参加。 - 第47回衆議院議員総選挙で再選。 - おおさか維新の会の結党に参加、初代国会議員団国会対策委員長に就任。 - 2017年の第48回衆議院議員総選挙で3選。 - 2021年の第49回衆議院議員総選挙で4選。
政治活動上の実績
- 2013年、岸和田市長選挙で公設秘書を支援するも落選。 - 大阪18区にて複数回の当選を達成。 - 様々な維新の党分裂や再編に関与。 - 2022年、秋田犬保存会の審査において公平性に疑問符が付く事例が報じられた。 - 2022年、秋田犬の無償譲渡で公職選挙法違反の疑いが報じられた。
政治的スタンス
- 日本国憲法の改正に賛成。 - 緊急事態条項の創設に反対。 - 選挙区合区解消の憲法改正に反対。 - アベノミクスを評価。 - 高度プロフェッショナル制度の導入に賛成。 - 原子力発電は当面必要だが将来的に廃止を考慮。 - カジノの解禁に賛成。 - 日本の核武装の検討について言及。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 秋田犬保存会の会長として動物愛護活動にも精力を注ぐ。 - 立憲民主党など他党の政治家とも個人的な交友を持つ柔軟性を示す。 - 複数の議員連盟に参加し、幅広い政策分野での活動。 - 愛煙家として喫煙問題については一定の理解を示している。 - 不祥事報道に関しては、説明責任と公正性が求められる立場である。
中村 喜四郎(なかむら きしろう)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 75歳 (1949年04月10日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (無所属→)(自由民主党(田中派→竹下派)→)(無所属→)(改革クラブ→)(無所属→)立憲民主党(小勝会) |
選挙区 | (比)北関東 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1949年4月10日、茨城県猿島郡境町に生まれる。 - 茨城大学教育学部附属中学校、啓明学園高校を卒業。 - 1972年、日本大学法学部卒業。法学士の称号を取得。 - 大学卒業の直前に田中角栄事務所に入所し、田中角栄の秘書を務める。
政治家としてのキャリア
- 1976年12月、第34回衆議院議員総選挙で旧茨城3区から無所属で立候補し、初当選。当選後に自民党から追加公認を受け、田中派に所属する。 - 1982年、第1次中曽根内閣で建設政務次官に就任。 - 1989年、宇野内閣で科学技術庁長官に任命。 - 1992年、宮澤内閣で建設大臣に就任。 - 1994年以降、ゼネコン汚職事件で逮捕され議員失職。その後刑期満了し、2005年に政治活動を再開。 - 自民党を離党後、無所属や立憲民主党などで活動。最初から無所属の議員としても活動を継続。 - 2020年、立憲民主党に入党し、同党の一員として活動している。
政治活動上の実績
- 1989年、宇野内閣での科学技術庁長官就任があり、この際、戦後初めて生まれの閣僚として注目された。 - 1994年、ゼネコン汚職事件による斡旋収賄容疑で逮捕され、1997年に懲役1年6か月および追徴金1000万円の実刑判決を受けた。 - 2003年、最高裁判決で実刑が確定し、衆議院議員を失職。 - 2005年の第44回衆議院議員総選挙に無所属で再出馬し、当選を果たす。 - 過去には圏央道のルート変更に関わり、地元選挙区への利益誘導があったとされる。
政治的スタンス
- 憲法改正賛成。ただし、憲法9条への自衛隊の明記には反対。 - 緊急事態条項の憲法への導入には賛成。 - 安全保障法制関連では評価しないスタンス。 - 選択的夫婦別姓制度の導入に賛成。 - LGBT理解増進法案の早期成立に賛成。 - 原子力発電の依存度は今後下げるべきと考えている。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 静謐な政治活動スタイルが評価されるが、過去のゼネコン汚職事件により有罪判決を受けたため、適格性には疑問が残る。 - 議員活動中に要職に就かず、質問や議員立法の数は少ない。 - 政治的姿勢を変え、新たな政治スタンスに挑む意志は示されているが、長年の選挙地盤と後援会組織に依存する姿勢が散見される。 - マスコミ嫌いで有名だが、近年野党としての立場を重説明する場面も。 - 息子が政治家として地元県議を務め世襲の形を強めつつある印象もあり、政治の透明性を問う声もある。