2024年10月衆議院議員ランキング 2回戦
林芳正 vs 江崎鐵磨
勝: 江崎鐵磨
戦評
議員Aと議員Bの双方ともに長い政治経験を持ち、異なる強みを持っている。議員Aは国際経験が豊富で、外務大臣として日韓関係やウクライナ問題に対して関与した実績があり、外交面での貢献が評価される。一方、議員Bは地方政治の発展に貢献し、特に消費者問題やインフラ整備に力を入れてきた。しかし、議員Aには政治資金問題や旧統一教会との関係といった問題があり、清廉性に関しての懸念も存在する。議員Bには過去の公職選挙法違反疑惑が指摘されているが、地元での支持が強く、世襲に反対する姿勢も示している。政策的スタンスでは、議員Bの方が平和外交や社会正義に軸を置いており、長期的な影響を考慮すれば、より幅広い国民の共感を得る可能性が高い。したがって、透明性と国民の基礎的な安心安全の観点から議員Bが選ばれるべきである。
林 芳正(はやし よしまさ)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 64歳 (1961年01月19日生) |
所属政党 | 自由民主党 自由民主党(加藤派→古賀派→岸田派→無派閥) |
選挙区 | 山口3 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1961年、東京都で生まれる。父親は衆議院議員の林義郎。 - 1969年、山口県下関市へ転居し、小・中・高校を山口県で過ごす。下関市立文関小学校、下関市立日新中学校、県立下関西高校を卒業。 - 1984年、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業後、三井物産に入社。商社内では物資部タバコ課に配属。 - 1989年、三井物産を退社し、サンデン交通に入社。また、同年、山口合同ガスに入社。 - 1991年、ハーバード大学大学院に入学し、米下院議員の銀行委員会スタッフ、米上院議員の国際問題アシスタントを務めた。 - 1994年、ハーバード大学ケネディ・スクール修了し、MPAを取得。 - 計画的な留学と政治関係の補助業務を行い、知見を広めた。
政治家としてのキャリア
- 1995年、第17回参議院議員通常選挙で山口選挙区より初当選。以来、参議院議員を5期務める。 - 2008年、福田康夫改造内閣で防衛大臣に就任し、初入閣。 - 2009年、麻生内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任。 - 2012年、第2次安倍内閣で農林水産大臣に就任。その後、2015年にも再登板。 - 2017年、文部科学大臣に就任。高等学校学習指導要領を改訂する。 - 2021年11月、衆議院議員に鞍替えし、山口3区で当選。 - 同年11月から2023年9月まで外務大臣を務める。 - 2023年12月、第2次岸田第2次改造内閣で内閣官房長官に就任。
政治活動上の実績
- 2008年、防衛大臣として福田康夫改造内閣に参画したが、福田首相の辞任で役職が短命。 - 2009年、麻生内閣での内閣府特命担当大臣として、限られた期間内で経済財政政策の舵取りに関与。 - 2012年以降、農林水産大臣としてTTP交渉や豚コレラ蔓延対策など日本の農業改革を推進。 - 2017年、文部科学大臣時代に高等学校の学習指導要領を改訂するなど教育改革に着手。 - 外務大臣として日韓関係やウクライナ問題など国際的な外交改革に取り組む。 - 旧統一教会との関係を指摘され、政治資金の問題や選挙活動での法的問題に巻き込まれることもあった。
政治的スタンス
- 自衛隊の存在を憲法に明記することにやや賛成の立場。 - 北朝鮮を含む国際支援を行うべきとし、積極的な外交姿勢を打ち出した。 - 経済分野では財政再建を掲げ、消費税の増税を予定通りに進めるべきと主張。 - 日本経済の再構築にはスタートアップ支援を重視し、原子力発電の慎重な活用を認める。 - 日中友好議連会長として関係強化を推し進め、一部から親中派と見られるが「知中派」と自任。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 多様な行政の要職を兼任し、日本の内外政策において幅広い実績を持つ。 - 政治的な知識面で、高等教育と国際的経験を生かし、政策形成に貢献。 - 音楽やスポーツ、文化関係に造詣が深く、政治家としての魅力を多様に育てている。 - 不祥事については、複数の政治資金問題や法的疑惑が指摘され清廉性に辞任が求められる局面もあった。これに対して公正な説明が求められる。「人に優しい『仁』の政治」を掲げ、国民の共感を得る姿勢が義務付けられている。
江崎 鐵磨(えさき てつま)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 81歳 (1943年09月17日生) |
所属政党 | 自由民主党 (新生党→)(新進党→)(自由党→)(保守党→)(保守新党→)自由民主党(二階派) |
選挙区 | 愛知10 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1943年9月17日、愛知県一宮市生まれ。 - 一宮市立向山小学校、一宮市立南部中学校、愛知県立一宮高等学校を卒業。 - 1967年、立教大学文学部教育学科卒業。 - 大学卒業後、少林寺拳法の開祖である宗道臣の秘書になる。 - 1971年から父・江﨑真澄の衆議院議員経歴時に秘書を務める。 - 一宮サッカー連盟会長に就任し地域スポーツの発展に貢献する。
政治家としてのキャリア
- 1993年、第40回衆議院議員総選挙で新生党(羽田派)から立候補し初当選。 - 1994年、新進党結成に参加。 - 1998年、自由党結成に参加し、党内で要職を歴任。 - 2000年、保守党結成に伴い外務総括政務次官に就任。 - 2003年、保守新党の公認で国政に返り咲く。 - 自由民主党に入党後、国土交通副大臣、衆議院法務委員長を歴任。 - 2017年、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、海洋政策)に任命され初入閣。
政治活動上の実績
- 1993年、初当選後、野党の内閣不信任決議にて自民党羽田派賛成により可決、衆議院解散に参加。 - 2005年から2006年、国土交通副大臣として災害対策とインフラ整備に取り組む。 - 2017年、大臣就任後、消費者問題を主導し、記者会見では時折論争を巻き起こす。 - 2019年、首里城火災を受け早期再建に向けた緊急決議を行い、国交省に申し入れを行う。
政治的スタンス
- 憲法9条改正と集団的自衛権の行使に反対する立場。 - アベノミクスを評価しつつも、原発の再稼働には反対。 - ヘイトスピーチの法規制に賛成し、村山談話・河野談話の見直しには否定的。 - IR法案には否定的で、「賭け事で金儲けする考えは間違っている」との主張を持つ。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 長年に渡り、派閥を超えた政治活動を行っており、特に二階俊博との協調関係が深い。 - 世襲に反対し、後継者選びは慎重。 - 政治活動を通じ、地方政治の発展に貢献しつつ、過去の公職選挙法違反疑惑も指摘されている。 - 高齢であるが、政治的役割を続ける意欲を持ち続け、多選している。 - 時折失言や体調問題でマスコミの注目を集めたが、それでも地元支持層からは強い支援を受けている。