2024年10月衆議院議員ランキング 17回戦
川内博史 vs 玄葉光一郎
勝: 川内博史
戦評
議員Aおよび議員Bの両名ともに、政治家としての長いキャリアと様々な実績を持っています。それぞれのスタンスや政策を考慮した場合、選出する際の主な考慮事項は以下です。 議員Aは、国内の社会施策に特化した活動が多く見られ、特に消費税反対や原子力発電のゼロ推進、ジェンダー平等への支持が強調されています。これは、若者や進歩的な政策に関心がある有権者に好まれるでしょう。また、多くの委員会で経験を積み、政策の提案や改善に力を入れている点も評価の対象といえます。一方で、党内一致に従わなかったために処分を受けるなど、独立したスタンスがあることも注目すべき点です。 議員Bは、外交面や安全保障において目立った功績があります。外務大臣として日米地位協定の改善に取り組むなど、国際的な視野を持った政策実現の経験を評価できます。また、福島復興や女性の社会進出支援を掲げていることもポジティブです。安全保障に関して保守的な立場を取るため、安定性を求める有権者に支持されるでしょう。 以上を踏まえ、内政と社会政策で特に進展を求めるなら議員A、公約達成力と外交能力を重視する場合は議員Bが選ばれるでしょう。今回は、現時点で国民の抱える社会政策上の問題への積極的対応という観点から議員Aを選びます。
川内 博史(かわうち ひろし)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 63歳 (1961年11月02日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (日本新党→)(新党さきがけ→)(旧民主党→)(民主党(鳩山グループ)→)(民進党→)(旧立憲民主党→)立憲民主党 |
選挙区 | (比)九州 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 鹿児島市出身。 - ラ・サール中学校・高等学校を卒業。 - 早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、雄弁会に所属。 - 卒業後、大和銀行に就職。 - 1988年、株式会社大月ホテル取締役に就任。
政治家としてのキャリア
- 1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧日本新党公認で立候補するも落選。 - 1996年、民主党公認で鹿児島1区から立候補し比例九州ブロックにて復活当選。 - 複数回の選挙で比例復活により当選。 - 2009年、第45回衆議院議員総選挙で小選挙区で初めて保岡興治を破り当選。 - さまざまな衆議院委員長を歴任:国土交通委員長、科学技術・イノベーション推進特別委員長、文部科学委員長、沖縄及び北方問題に関する特別委員長など。 - 2017年、立憲民主党から鹿児島1区で当選し国政復帰。
政治活動上の実績
- 2009年、JALの経営再建に取り組み、新会長に稲盛和夫を据えることを進言。 - 衆議院政治倫理審査会長を務めるも、原子力協定反対で辞任(2011年)。 - 消費増税法案に反対票を投じ党から処分を受ける(2012年)。 - ガソリン税の暫定税率廃止を訴える「ガソリン値下げ隊」を結成し、一部成果をあげた。 - 2009年、奄美群島振興開発など「奄美版マニフェスト」を発表。
政治的スタンス
- 憲法改正に対して基本的に反対の姿勢を示している。 - 普天間基地の国外移設を主張し、連立与党の基本方針策定を求めた。 - ジェンダー関連では選択的夫婦別姓制度の導入、同性婚に賛成。 - 消費税の停止を提唱し、賃金が物価を上回るまで続けることを主張。 - 原子力発電をゼロにすべきと考えている。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 知識豊かな経済学士であり、種々の委員会委員長としての経験を持つ。 - 消費税増税反対など、自身の信条に沿った行動が奏功している場面がある。 - 政治資金収支報告書の記載漏れが報じられ、修正対応を行っている。 - 問題に対する直接的な行動力と、改善への提言で注目されることも多い。 - 国の政策に対して異を唱えた結果、党内で処分された経験があるが、信念を曲げない姿勢を見せる。
玄葉 光一郎(げんば こういちろう)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 60歳 (1964年05月20日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (自由民主党→)(新党さきがけ→)(旧民主党→)(民主党→)(民進党(玄葉G)→)(無所属→)立憲民主党 |
選挙区 | 福島3 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1964年(昭和39年)に福島県に玄葉平五郎の子として生まれる。 - 福島県立安積高等学校を卒業。 - 上智大学法学部に進学し、1987年(昭和62年)に卒業。法学士の学位を取得。 - 卒業後、松下政経塾に入塾し、政治や経済について学ぶ(第8期生)。 - 1991年(平成3年)に福島県議会議員選挙に出馬して、初当選。当時26歳での当選は、県政史上最年少であった。県議時代は自由民主党に所属した。
政治家としてのキャリア
- 1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧福島2区から無所属で出馬し、初当選。 - 1996年、新党さきがけを離党し、旧民主党に参加、以降一貫して民主党関連の政党に所属。 - 鳩山由紀夫政権下で衆議院財務金融委員長を務める。 - 菅直人内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画、科学技術政策)を歴任。 - 野田内閣で第142代外務大臣として任命され、外交を担当する。 - 民進党選挙対策委員長、立憲民主党副代表など、党内で要職を歴任。
政治活動上の実績
- 2010年、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)として政策の推進に尽力(菅内閣)。 - 2011年より外務大臣として、日米地位協定の改善など具体的な外交成果を挙げる(野田内閣)。 - 2012年、普天間飛行場移設問題で日米同盟の再強化を図る政策を進めるが、普天間基地の固定化懸念も。 - 参院選や衆院選において党の選挙対策を指揮、2004年の参院選では民主党を自民党よりも1席上回る勝利に導く。
政治的スタンス
- 福島の復興、出生率や女性の就業率の上昇に注力。 - 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈の見直しに賛成。 - 自衛隊の存在を憲法に明記することを支持。 - 日本のTPP参加や安全保障を重視する姿勢。 - 選択的夫婦別姓制度や同性婚法律化にやや賛成。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 松下政経塾出身であり、若いころから政治家としての教育を受けている。 - 外務大臣として具体的な外交成果を挙げており、行政手腕がある程度認められる。 - 複雑な政策課題にも取り組む姿勢を持ち、現実的な政策の実現を志向。 - 外交・安全保障に関して保守的な側面があり、安定を重視するアプローチ。