2024年10月衆議院議員ランキング 27回戦
小田原潔 vs 青柳陽一郎
勝: 青柳陽一郎
戦評
議員Aと議員Bの双方にはそれぞれ強みと弱みがあるが、議員Bは柔軟性に富み、党内および地域での調整力を示している部分が目立つ。彼の政治キャリアにおける様々な党への所属と再編を経て、特に神奈川県連代表に就任するなど、党内でのリーダーシップを発揮していることが評価につながる。しかし、その柔軟性は一貫性の欠如として見ることも可能であるため、この点では批判的な見解もあるかもしれない。一方、議員Aは外交や経済の知識に基づく政策的貢献が期待されるが、過去の統一教会関連の問題が信頼性に影響を及ぼしている可能性がある。選挙での競争力や活動量は優れたものがあるものの、国民の信頼を揺るがしかねないリスクも伴っている。総じて、現状の政策課題に柔軟に対応し、党内部での影響力を高めている議員Bの方が、次の選挙においてはより国民に対する影響力や統率力を発揮できる可能性が高いと評価する。
小田原 潔(おだわら きよし)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 60歳 (1964年05月23日生) |
所属政党 | 自由民主党 自由民主党(安倍派・谷垣G→安倍派→無派閥) |
選挙区 | 東京21 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 大分県出身。父は自衛官。 - 練馬区立北町小学校、練馬区立北町中学校、東京都立富士高等学校を卒業。 - 1987年に東京大学経済学部を卒業。 - 同年に富士銀行に入行し、その後金融業界でキャリアを築く。 - 1996年にメリルリンチ証券に転職。 - 2000年にゴールドマン・サックス証券に転職。 - 2004年にドイツ証券に、2007年にモルガン・スタンレー証券にそれぞれ転職。 - 金融業界でのキャリアを通じ、多くの国際的なビジネス経験を積んだ。
政治家としてのキャリア
- 2010年の第22回参議院議員通常選挙において大分県選挙区から出馬するも落選。 - 2011年、東日本大震災の被災地である宮城県七ヶ浜町にてボランティア活動を行う。 - 2012年の第46回衆議院議員総選挙に東京21区から出馬し、民主党の長島昭久に敗れるも比例東京ブロックで復活当選、初めての衆議院議員となる。 - 2014年の東京都知事選挙で舛添要一氏を応援する唯一の自民党国会議員として活動。 - 2014年の第47回衆議院議員総選挙では東京21区で初めて当選。 - 2016年、外務大臣政務官に就任。 - 2017年の第48回衆議院議員総選挙で同じ選挙区で敗れるも比例代表で復活当選。 - 2021年、第49回衆議院議員総選挙で東京21区で当選し、4回目の当選を果たす。 - 外務副大臣として2021年から2022年に活動。
政治活動上の実績
- 2016年、第3次安倍第2次改造内閣で外務大臣政務官として任命され、外務分野に携わる。 - 2021年、第1次岸田内閣で外務副大臣に任命され、国際役職に従事。 - 2022年、ナンシー・ペロシ米下院議長の訪日時に横田基地への出迎え役を務める。 - 東日本大震災被災地での積極的なボランティア活動(2011年)も、議員としての活動における社会貢献の一環と言える。 - 長島昭久との選挙戦で、比例復活当選や直接対決での勝利という競争を制した経験。
政治的スタンス
- 日本国憲法第9条の改正に賛成。 - 国防軍の設置を支持。 - 緊急事態条項の創設を憲法に含めることに賛成。 - 原子力発電を日本に必要と考え、カジノの解禁にも賛成の立場。 - 核武装の再検討の可能性を示唆し、非核三原則の見直しの議論をする必要があるという姿勢。 - 内閣総理大臣や他の国務大臣の靖国神社参拝を支持し、自身も靖国を参拝する国会議員の会に所属。 - 反選択的夫婦別姓制度の立場を取っている。 - 河野談話、村山談話の見直しを支持。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 財務業界でのキャリアに基づく経済的専門知識は、政策策定における重要な基盤を提供する。 - 東日本大震災被災地でのボランティア活動は、社会への深いコミットメントを示しており、誠実さと献身の表れである。 - 外務省関連の役職を通じて、外交の場における経験を積んでいること。 - しかし、一方で統一教会関連団体への資金利用が過去に確認されており、これが透明性や信頼性に影響を与える可能性がある。 - 選挙での復活当選や僅差での勝利は、着実な選挙活動と支持基盤の強化を示している。
青柳 陽一郎(あおやぎ よういちろう)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 55歳 (1969年08月29日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (みんなの党→)(結いの党→)(維新の党→)(民進党(江田G・長島G)→)(旧立憲民主党→)立憲民主党(重徳派) |
選挙区 | (比)南関東 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 東京都中野区に生まれ、小学3年生の時に神奈川県横浜市保土ケ谷区へ転居。 - 日本大学高等学校を経て、日本大学法学部政治経済学科を卒業。 - 1993年、松田岩夫衆議院議員の秘書としてキャリアを開始し、1998年からは公設秘書、2005年には松田が内閣府特命担当大臣に任命された際、大臣秘書官を務める。 - 2011年、早稲田大学大学院公共経営研究科に入学し、2014年に公共経営修士を取得。
政治家としてのキャリア
- 2012年、第46回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で神奈川6区から立候補、比例南関東ブロックで復活して初当選。 - 2013年にみんなの党を離党し、結いの党の結党に参加。 - 2014年の第47回衆議院選挙では維新の党から立候補し、比例復活で再選。 - 2016年、民進党に参加し、党内での位置を固める。立憲民主党の結党や再編を経て、党の重徳派に属する。 - 2021年の総選挙では立憲民主党公認で神奈川6区から立候補、小選挙区での当選は逃しつつも比例区で当選。
政治活動上の実績
- 2017年の第48回衆議院議員総選挙では、初めて選挙区で当選。 - 2021年には、総選挙での小選挙区落選後、比例復活での当選を果たす。これを機に党内での指導力を発揮し、小川淳也の推薦人となるなど活動。 - 2022年9月、立憲民主党神奈川県連代表選で現職の阿部知子を破り、党県連代表に就任。
政治的スタンス
- 憲法改正については時期によって回答が異なり、慎重な姿勢を示している部分と賛成する部分があり、特に9条改憲には反対に転じた。また、2014年の集団的自衛権閣議決定に対して評価しないという立場を取った。 - 女性とLGBTQの権利については、選択的夫婦別姓制度に賛成の立場を取り、クオータ制の導入も支持。 - 安全保障に関しては、普天間基地の辺野古移設に賛成し、歴史問題においては「村山談話」「河野談話」の見直しを支持することもあった。 - エネルギー政策として原発不要を表明し、アベノミクス評価については明確に否定。 - 靖国神社参拝については賛成の立場でみんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に参加。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 様々な党への所属と離党を経て立憲民主党の一員として活動。政策の一貫性や党内対策を試み続けている点は指導者としての柔軟性を示している。 - 神奈川県連の代表としての経験から、党内調整力や選挙戦略においてリーダーシップを発揮している。 - 多様な政策立場の変遷からも見えるように、政策対応は柔軟だが、それが一貫性の欠如として指摘される可能性もある。 - 地域密着の活動を続け、選挙での挫折を乗り越え比例での復活や選挙区での直接当選を達成するなど、議員としての信任を得ている。