2024年10月衆議院議員ランキング 17回戦
小宮山泰子 vs 前原誠司
勝: 小宮山泰子
戦評
議員Aと議員Bのどちらを選択するかを考えると、以下の点に注目が必要です。 ### 議員Aの評価 - **政治経験と立場**:議員Aは、消費税増税に反対するなど一部問題に対し独自の立場を取っており、そのため何度も政党を渡り歩いてきました。ただし、特定の政策に対する強い姿勢が一定の支持を集めている点は評価できます。また、生活の党などの国会対策委員長を務めるなど、組織内での役職経験が豊富です。 - **問題点**:政党移動の頻繁さや、旧統一教会関連の問題が指摘されるなど、政治キャリアの中で安定性や信頼性に疑問符が付くことがあります。 ### 議員Bの評価 - **政治経験と立場**:議員Bは、国土交通大臣や外務大臣などの要職を歴任し、実績を強調できるキャリアがあります。また、教育無償化などの具体的な政策理念を持ち続け、安保政策においても明確な立場を取っています。 - **問題点**:メール問題や外国人献金問題などのスキャンダルによる信頼性の低下は大きな課題です。同時に、政党を幾度も渡り歩き、その都度柔軟に立場を変えているため、一貫性が疑問視されます。 ### 総合評価 両者はともに豊富な政治経験を持ち、政策への情熱も見られますが、選挙においてはスキャンダルや頻繁な政党移動の影響を考慮する必要があります。議員Aは消費税増税に対する独自の姿勢があり、議員Bは大臣としての実績と教育分野における強い取り組みが評価できます。しかし、スキャンダルの影響は無視できないため、選択肢としては議員Aがより一般の信頼を保持しやすいと判断します。
小宮山 泰子(こみやま やすこ)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 59歳 (1965年04月25日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (自由民主党→)(自由党→)(民主党→)(国民の生活が第一→)(日本未来の党→)(生活の党→)(民主党→)(民進党→)(希望の党→)(旧国民民主党→)立憲民主党(階G・小沢G) |
選挙区 | (比)北関東 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1965年4月25日、埼玉県川越市に小宮山重四郎と乃理子の長女として生まれる。 - 高校在学中にイギリスに留学。 - 慶應義塾女子高等学校を卒業。 - 慶應義塾大学商学部を卒業。 - 日本電信電話(NTT)に入社し、従業員として勤務。 - NTT退社後、父である小宮山重四郎の公設秘書を務める。 - 日本大学大学院総合社会情報研究科の修士課程を修了し、修士(国際情報)取得。 - 裏千家茶道講師を務め、宗節を名乗る。
政治家としてのキャリア
- 1995年、川越市から自由民主党の公認で埼玉県議会議員に初当選。1999年に最高得票で再選。 - 2000年、埼玉7区から無所属で衆議院議員選挙に立候補するも落選。 - 2000年に自民党を離党し自由党に入党。2001年参議院選挙に出馬するも落選。 - 2003年、民主党と自由党の合併に伴い民主党に参加。埼玉7区から出馬し初当選。 - 民主党在籍中、2005年の総選挙に落選したが比例で復活当選。2009年、再び当選。 - 2012年、消費税増税に反対し、民主党を離党。国民の生活が第一へ参加。 - その後、日本未来の党、生活の党に参加し、選対委員長や国会対策委員長を歴任。 - 2014年、民主党に復党し、その後民進党へ参加。 - 2017年、希望の党から出馬し、比例復活で当選。 - 2020年、新たに立憲民主党に参加し、埼玉7区で出馬し、再び比例復活当選。
政治活動上の実績
- 2010年9月、鈴木宗男の失職を受けて衆議院外務委員会委員長代行に就任。 - 2012年、消費税増税法案について党方針に反して反対票を投じ、民主党から除籍。 - 2012年、国民の生活が第一に参加し、組織・団体委員長を務める。 - 2013年、日本未来の党分裂後、生活の党に参加し国会対策委員長と選対委員長に就任。 - 埼玉県議会議員時代に県内での票を伸ばし、最高得票で再選を果たす。 - 2022年、立憲民主党の「次の内閣」で国土交通・復興大臣に就任。
政治的スタンス
- くらしの保護、子供の将来の保護、再生可能エネルギーの活用促進を掲げる。 - 社会の格差是正と正規雇用の推進を主張。 - 選択的夫婦別姓制度の導入を支持。 - 受動喫煙防止案には反対の立場を取り、分煙を推進する立場をとっている。 - 江戸時代の二宮尊徳の報徳思想に興味を持ち、その研究会に参加。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 政党の異動が多く、立憲民主党の前に複数の政党を渡り歩いてきた経歴がある。 - 祖父と父ともに政治家の家庭に生まれ、幼少期より政治に親しんできた。 - 消費税増税に反対し、民主党除籍を経験したが、その後も国政選挙で当選を重ねる。 - 立憲民主党では組織内で役職を得ており、政策立案に関与している。 - 一部報道では、過去に旧統一教会関連団体との関わりが指摘され調査を受けており、その透明性が問われる。
前原 誠司(まえはら せいじ)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 62歳 (1962年04月30日生) |
所属政党 | 教育無償化を実現する会 (日本新党→)(無所属(民主の風)→)(新党さきがけ→)(旧民主党→)(民主党→)(民進党→)(希望の党→)(旧国民民主党→)(国民民主党(前原G)→)教育無償化を実現する会 |
選挙区 | 京都2 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1962年、京都府京都市左京区に生まれる。父は京都家裁の職員であり、母は家庭を支えた。 - 中学時代に父を亡くし、母子家庭で育つ。 - 中学時代は京都教育大附属中学校に進学。父を亡くしたことで苦労するが、奨学金を得ながら学び続ける。 - 高校時代は野球部に所属。法律に親しんで京都大学法学部を志望し、一浪して合格。 - 大学では国際政治を高坂正堯の下で学び、松下政経塾に第8期生として入塾。山田宏との交流もある。 - 1987年、松下政経塾に入塾し、政治家を志す。
政治家としてのキャリア
- 1991年、京都府議会議員に最年少の28歳で当選し政治家としての第一歩を踏み出す。 - 1993年、旧京都1区から衆議院議員に初当選(日本新党公認)。 - 2009年、鳩山由紀夫内閣の下で国土交通大臣に就任。 - 2010年、菅直人内閣で外務大臣に就任。 - 2012年、野田第3次改造内閣の内閣府特命担当大臣(経済財政政策、科学技術政策など)を務める。 - 2017年、民進党代表に就任。しかし、希望の党との合流を決断し党を分裂させる。 - 2021年、国民民主党の選挙対策委員長を務める。 - 2023年、教育無償化を実現する会を結成。
政治活動上の実績
- 1993年、衆議院総選挙で初当選し、その後10期にわたって衆議院議員を務めている。 - 1995年、日本新党が民主の風へと党を分裂した際参画。 - 2005年、民主党代表に就任するが、メール問題により2006年に辞任。 - 2009年、国土交通大臣在任中に八ッ場ダム等の公共事業見直しを進めるも地元の反発を受ける。 - 2010年、外務大臣として尖閣諸島中国漁船衝突事件に対応。 - 2011年、外国人からの献金問題で外務大臣を辞任。 - 2017年、民進党代表として希望の党と合流を図るも党分裂を招き、自らも辞任。希望の党に参加。 - 2023年、国民民主党を離党し新たな政治団体を結成。
政治的スタンス
- 安保政策では日米同盟の強化を主張し、中国脅威論を唱える。 - 国内政策では教育無償化を掲げ、社会保障制度の改革を提唱。 - 憲法改正に賛成し、9条に自衛隊の明記を求める。日本の集団的自衛権行使を支持。 - 経済政策では成長戦略を重視し、公共事業の効率化を推進。 - 反共産と明確に位置づけ、共産党との連携には否定的。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 行動力のある政治家として、積極的に外交や内政課題に取り組む姿勢を見せる。 - 一方で、メール問題や外国人からの政治献金問題など、スキャンダルによる信頼性の低下。 - リーダーシップの発揮に成功する場面も多いが、所属政党の分裂や再編劇に加担し、組織安定性に疑問符がつくこともある。 - 教育無償化など明確な政策理念を掲げており、政策に対する情熱を持続して発信。 - 複数の政党を渡り歩き、その都度柔軟に政治的立場を築いているが、一貫性が問われることもある。