2024年10月衆議院議員ランキング 4回戦
大島敦 vs 阿部知子
勝: 大島敦
戦評
議員Aと議員Bのどちらも豊かな経験を持っていますが、判断にはいくつかの要素を考慮する必要があります。 まず、議員Aは長年の政治経験があり、複数の党で様々な役職を歴任し、その中で非常に明確な政治的スタンスを示しています。特に憲法改正や安全保障に関する一貫した主張があり、これに同意する有権者にとっては支持されるべき要因といえるでしょう。しかし、多党派を渡り歩いてきた経緯から、一部の有権者においては信頼性に対する疑念が残る可能性があります。 一方、議員Bは医師としての経験を活かし、特に医療分野において癒し系イメージと専門的な知識をアピールしています。また、柔軟な姿勢を持ち、医療や福祉に対する政策に積極的に関与していることがその強みです。特に、新型コロナウイルスの対応に関しても現実的な意見を持ち、それがパンデミック下での政策的信頼感を高めているといえるでしょう。 最終的には、有権者がどの問題をより重視するかにかかっています。安全保障や憲法改正などの国家的問題を重視するなら議員A、医療と福祉の改善を重視するなら議員Bという選択になります。長期的な経験と政治に対する確固たるビジョンを持つ議員Aですが、医療問題への貢献と柔軟性で議員Bも強い候補です。 今回は、安全保障や内政におけるより広範な政策立案能力と強い政治的スタンスを考慮し、議員Aを選びました。
大島 敦(おおしま あつし)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 68歳 (1956年12月21日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (民主党→)(民進党(鳩山G→大畠G)→)(希望の党→)(旧国民民主党→)立憲民主党 |
選挙区 | 埼玉6 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
埼玉県北本市に生まれる。 京華高等学校を卒業。 早稲田大学法学部を卒業し、ゼミは会社法を専攻。 大学卒業後、日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社し、14年間勤務した。この間、輸出営業を担当し、3年半ドイツに駐在する。 日本鋼管退職後、ソニー生命保険に入社し、5年間新規顧客の開拓を担当する。
政治家としてのキャリア
2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬し、埼玉6区から初当選。 初当選から8期、衆議院議員を務める。 鳩山由紀夫内閣では内閣府副大臣に就任。菅直人内閣でも再任。 野田改造内閣では総務副大臣を務める。 民進党時代には幹事長、希望の党では代表代行、旧国民民主党で選挙対策委員長を務めた。 2020年から立憲民主党の組織委員長を務める。
政治活動上の実績
2009年の衆議院選挙では、自民党候補を打ち破り、全国300小選挙区の中で第3位の得票数を獲得。 2017年、希望の党の第1次公認リストに名を連ねず、一時不安定な状態を余儀なくされるも、後に第2次公認され選挙に出馬。 2012年、野田内閣の総務副大臣として3度にわたり政権の一部を支えた。
政治的スタンス
憲法改正に賛成し、特に衆議院解散権の制約が必要と主張。 アベノミクスや安倍内閣の消費増税の先送り、北朝鮮問題への取り組みを評価しない。 安全保障関連法や森友学園問題、加計学園問題での安倍内閣の対応を批判。 憲法9条改正や集団的自衛権の行使に反対。 普天間基地の国外移設を支持し、カジノ解禁や道徳の授業での取り扱いにも反対。 選択的夫婦別姓制度の導入を求める請願を提出した経験あり。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
長年の議員歴の中で、複数の政党で役職を歴任しており、政治家としての経験は豊富。 政策において、安倍内閣の政策に対して一貫して批判的な立場をとるなど、政治的な理念が明確。 比例復活とはいえ、多数の選挙で当選を重ねてきたことから、その支持基盤は一定の強さがあると評価できる。 異なる党派を渡り歩いてきた経緯があるため、政治的な柔軟性や戦略的な視点を持つ反面、時に多党派渡り歩きを批判される面もある。
阿部 知子(あべ ともこ)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 76歳 (1948年04月24日生) |
所属政党 | 立憲民主党 (平和・市民→)(社会民主党→)(旧日本未来の党→)(日本未来の党→)(みどりの風/日本未来の党→)(無所属→)(民主党→)(民進党→)(旧立憲民主党→)立憲民主党(近藤G) |
選挙区 | 神奈川12 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 東京都目黒区で生まれる。未熟児で体が弱く、幼稚園には通えなかった。 - お茶の水女子大学附属高等学校を卒業。 - 1968年、東京大学に入学。在学中は東大紛争の最盛期にフロント参加。 - 1974年、東京大学医学部を卒業。 - 1977年から稲田登戸病院小児科に勤務。 - 1980年から国立小児病院神経科、1983年から東大病院小児科に勤務。 - 1993年から1年間アメリカ合衆国メイヨー・クリニック疫学部に留学。 - 1999年から2000年まで千葉徳洲会病院長を務める。 - 政界進出後も非常勤で医療に継続関与(新生児から思春期の診療)。
政治家としてのキャリア
- 2000年、第42回衆議院議員総選挙にて、神奈川12区から社民党公認で初当選(以後8回当選)。 - 社会民主党政策審議会長(2003-2012年)、民進党副代表、日本未来の党代表兼幹事長、みどりの風代表代行などを歴任。 - 第2代新立憲民主党両院議員総会長(2021年12月~2022年8月)。
政治活動上の実績
- 北朝鮮制裁問題において、社会党の過去の関係を検証し謝罪すべきと主張(2002年)。 - 日本未来の党結党に参加し、党神奈川県連代表として活動(2012年)。 - みどりの風に入党し、代表代行に就任(2013年)。 - 立憲民主党設立当初から参加し、神奈川12区での議席を維持(2017年)。 - 参院選での立憲県連の選挙戦略のトラブルにより、党内対立を招き、県連代表選で敗れる(2022年)。
政治的スタンス
- 永住外国人への地方選挙権付与に賛成。 - 北朝鮮政策に関して、過去の社会党との関係についての検証と謝罪を求める。 - 子宮頸がんワクチンの副反応のリスクを指摘し、健診普及を主張。 - 新型コロナワクチンに関して、特に子どもへの接種リスクを指摘。 - 政党交付金増額を訴え、政治の敷居を下げることを目指す。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 医師であることを活かし、医療問題に積極的に取り組む姿勢。 - 小児医療に関する深い知識と現場での実践経験がある。 - 実際の政治生活でも、複数の政党を渡り歩くことで現実的対応を迫られる中、多様な立場を経験した。 - 対立する意見にも柔軟に対応する姿勢を示し、政策審議で現実路線を重視。 - 一定の批判を受ける中で誠実に対応し、事実誤認についても修正し対応してきた。