2024年10月衆議院議員ランキング 21回戦
古川禎久 vs 山口壯
勝: 古川禎久
戦評
議員Aは法務大臣としての実績や、逆境においても政治に取り組む姿勢が評価できます。 一方で、議員Bは外務省出身で、国際分野において専門的な知識を持っており、多角的な政治経験があります。 両者の実績や経歴を見ると、議員Aは積極的な政策提言や実行に関与しており、その政策方針も明確です。特に郵政民営化法案に対する姿勢や環境、財政分野での役職に見られるように、内政と司法に強みを持っています。また、政治活動における粘り強さも評価できます。ただし、歴史認識や外国人参政権などに関する保守的なスタンスが支持基盤以外では議論を呼ぶかもしれません。 対する議員Bは国際政治における知見を持ち、外務副大臣、環境大臣などでの役職経験を通じて国際問題や環境問題に対しても対応してきた経歴があります。選択的夫婦別姓制度などジェンダー問題にも積極的であるなど、柔軟で多様なスタンスが特徴です。しかし、宗教団体との関係についての批判もあるため、そこに対する説明責任が求められます。 総合的に見ると、国民の信頼に欠かせない政策実行力と逆境における粘り強さ、国内の得意分野での成果を挙げている議員Aがより確実性を持った政策遂行能力を持つと評価され、選ぶべき候補と考えられます。
古川 禎久(ふるかわ よしひさ)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 59歳 (1965年08月03日生) |
所属政党 | 自由民主党 (新進党→)(無所属→)(自由民主党(橋本派)→)(無所属→)自由民主党(山崎派→無派閥→石破派→茂木派→無派閥) |
選挙区 | 宮崎3 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1965年8月3日、宮崎県串間市で生まれる。家族は1926年から焼酎造りと酒類の小売販売を行っていたが、のちに廃業。 - 串間市立福島小学校を卒業後、ラ・サール中学校に入学するも寮を退寮処分となる。 - ラ・サール高校に進学し卒業後、東京大学法学部に入学。1989年に卒業。 - 1989年、建設省に入省し建設事務官となるが、1992年に退官。 - 退官後、衆議院議員の秘書を務める他、目黒で焼き鳥店を経営していた。
政治家としてのキャリア
- 1996年、新進党公認で宮崎3区から衆議院議員総選挙に出馬するも落選。 - 2000年、無所属で同選挙区から出馬し落選。 - 2003年、無所属で宮崎3区から再び出馬し初当選。後に自民党に入党。 - 2005年、郵政民営化法案に反対し自民党を離党。無所属で再選。 - 2006年、自民党に復党。法務大臣政務官を経て、環境大臣政務官としても活躍。 - 2013年、安倍内閣の財務副大臣に就任。 - 2021年、岸田内閣で法務大臣に就任。
政治活動上の実績
- 2003年、宮崎3区で初当選し、その後も連続当選を果たす。 - 県議会本会議で郵政民営化法案に反対し、自民党を離党後、無所属で再選(2005年)。 - 2013年、安倍内閣の財務副大臣に就任。 - 2021年、法務大臣として加古川7人殺害事件や秋葉原通り魔事件の死刑執行を命令。 - 2024年、政治資金パーティー収入の裏金問題に関して全派閥の解消を主張。
政治的スタンス
- 歴史事実に関して、日本の第二次世界大戦中の慰安婦問題では強制連行を否定する立場。 - 外国人参政権と人権擁護法案に反対。 - 首相の靖国神社参拝を支持。 - 日本のTPP参加には反対。 - 将来的な核武装については国際情勢に応じて検討すべきと考えている。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 建設省での官僚経験とその後の政治秘書経験から、法律と行政の知識が豊富。 - 複数の選挙歴に見るように、逆境においても粘り強く政治に取り組む姿勢が見られる。 - 大胆な政策や発言がしばしばあり、自民党内でも保守的な立場を確立。 - 矢沢永吉のファンで、「永田町矢沢会」の会長を自称しており、このように文化活動への関心も示している。
山口 壯(やまぐち つよし)
議員データ
衆議院議員 | |
年齢 | 70歳 (1954年10月03日生) |
所属政党 | 自由民主党 (新進党→)(無所属→)(無所属の会→)(民主党→)(無所属→)自由民主党(二階派) |
選挙区 | 兵庫12 |
議員サマリー
政治家になる前の経歴
- 1954年10月3日に兵庫県相生市で生まれる。 - 淳心学院中学校・高等学校を卒業。 - 東京大学法学部第3類(政治コース)と第2類(公法コース)を卒業。 - 1979年に外務省に入省し、経済局国際機関第二課に配属される。 - 1980年から在米日本大使館で勤務しながら、ジョンズ・ホプキンズ大学で国際政治学博士号を取得。 - 1989年には在中華人民共和国大使館の一等書記官に赴任。
政治家としてのキャリア
- 1995年、新進党幹事長の小沢一郎の誘いで外務省を退官後、同年国政選挙に挑戦。 - 2000年、無所属で衆議院議員に初当選。 - 民主党に所属し、菅直人内閣や野田内閣で外務副大臣や内閣府副大臣を歴任。 - 2013年に民主党を離党し、無所属で二階派に参加。 - 2015年に自由民主党に入党し、環境大臣として第1次岸田内閣で入閣。 - 衆議院議員として7期目を迎える。
政治活動上の実績
- 2009年、第45回衆議院議員総選挙(民主党公認)で兵庫12区で自民党候補を破り3選を果たす。 - 2011年から2012年にかけて、菅直人第2次改造内閣、野田内閣で外務副大臣を務める。 - 2016年、衆議院安全保障委員長に就任。 - 2021年、埼玉県での太陽光発電所計画について見直しを求める意見書を環境大臣として提出。 - 2022年、世界平和統一家庭連合関連イベントに祝電を送ったと明らかにし、批判を招く。
政治的スタンス
- 憲法改正には賛成の立場をとるが、9条への自衛隊明記には明確に賛成。 - 北朝鮮問題においては対話と圧力の両方が必要であると考える。 - ジェンダーに関しては、選択的夫婦別姓制度導入に積極的である。 - 原子力発電への依存度を下げるべきという立場を取る。 - 部落問題には積極的に関与し、法律成立に尽力。
国民の代表としての適格性を判断する上で特筆すべき事項
- 外務省出身で、国際政治学の博士号を持つ有識者としての資質。 - 複数の政党に渡る経歴は、政治状況に応じた柔軟な対応能力を示す一方、党派を超えた協力姿勢を見せる。 - GLや宗教団体との関係について報じられており、国民からの信頼に対する説明責任が求められる。 - 周囲からは誠実だが、余計なことを言い過ぎるとして危惧する声も報告されている。 - 地元への影響力や知名度には強みがあるが、統一教会との関係について広がる批判に対する対応が鍵となる。